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中国・パキスタン国境クンジュラーブ峠4943m

カラコルム山脈ナンガパルパッド峰8125m

エディカル寺院前

カラコルムハイウェイとラクダ

1998年7月 旅行記

北京〜カラチ 8000Kmの旅

 北京からカラチまで、8000Kの旅である。北京からウルムチ、カシュガルへ中国の国内航空で乗り継ぎ、そこから、カラコルムハイウェイを定期バス、ジープにより中国・パキスタン国境を越え、イスラマバードまで達した。あまりなじみの無い地域なので概略の位置関係を下図に示す。

イスラマバードから800万都市カラーチーまでフライトで行きそこから帰途についた。北京で2時間給油し、10数時間後成田に着いたが、7/20から7/30までの過酷で感動の旅であった。

ローランの美女との出会い

 北京からウルムチまで、中国の国内航空の新彊航空で4時間。4時間のフライトであるが窓からの天山山脈、タクラカマン砂漠などの初めて見る広大な景色と機内のサービスを受けながらがあっという間に着いた。特に機内のサービスは良く機内食の他に、ケーキセット、アンズ、ナッツの配布から扇子のサービス、飲み物は常に回っていて飽きさせない。
 ウルムチは新彊ウィグル自治区の区都で人口130万の大都市であり、通りは整然と区画され、背の高いビルやホテルが建ち並ぶ。ウルムチの新彊自治区博物館で、待望のローランの美女との出会いである。4世紀前半まで、シルクロードの要衝としてロプ・ノール(さまよえる湖)のほとりに栄えた都ローラン(楼蘭)から発見されたミイラである。4000年前の年齢45歳、身長157Cm、もっとも縮んで152Cmとなっている。他にミイラは10体程あり若い女性、男性、子供などであり、驚くほどリアルにそのままの状態で、髪の毛、髭まで残っている。やはりローランの美女はひときわ気品があり他を圧倒している。
館内には新彊で出土した他の土器、文書など展示しているが、日本では国宝級のミイラも無造作にガラスケースに展示しており保存状態も良くない。因みに、スェーデンの探検家ヘディングの発見で有名な“さまよえる湖”ロプ・ノールは、現在では涸れて湖自体が無いらしい。

民族の十字路カシュガル

ウルムチから同じ新彊航空で2時間、天山南路の西端の町カシュガルがある。北京から4時間、2時間と飛行機を乗り継いでもまだ中国である。搭乗開始し、飛行機に乗るためバスで移動したが、急に引き返し降ろされた。何が何だかさっぱり分からなかったが、どうやら飛行機の故障らしい。延々と3時間待たされてやっと乗り込めた。ロシアからの払い下げで故障中と思われる飛行機がごろごろある。途中、放送があったがよく聞き取れない。もちろん日本のような表示板は無く、最も不安な目にあった出来事であった。

カシュガルに着いたのが夜の11時。日本との時差は、北京で1時間であるが、ウルムチ、カシュガルでは公式には北京時間と同じである。従って夜の11時でもまだ薄明るい。地域によっては2時間遅れのLOCAL時間を採用しているらしい。ホテルに着き遅い夕食をとったが、色々な野菜をベースにした中華料理はおいしい。北京、ウルムチと同じ素材の中華料理でも少しづつ変わっている。

 以前NHKのシルクロードの放映で、カシュガルにある通りを、民族の十字路と紹介していたが、まさにその通りで色々な民族が同居している。ウルムチは漢族が多いが、カシュガルはウィグル族が多くイスラム文化の影響が強いエキゾチックな町だ。他に回族、カザフ族、キルギス族、タジク族など20種もの少数民族がおり、文化、言葉がそれぞれ違う。遠い昔からシルクロードの巨大オアシスとして栄えたカシュガルのこの町を、三蔵法師、マルコ・ポーロも立ち寄っている。現在中国とパキスタンの往来が可能になり、シルクロードが復活したと言って良い。中国最大のモスク、エディカル寺院もここにある。
 バザールは賑やかさを通り越し祭り気分である。果物の露天、床屋、帽子屋、民族楽器作りなどなど。特に豊富なおいしい果物、有名なハミ瓜(1切れ1元=18円)、イチジク(2個1元)が信じられないくらい美味。

 カシュガルで初めて夜飲みに出かけた。町中が停電しており、ろうそくの明かりをたよりに屋台が立ち並ぶ。いつもこうなのか、ろうそくの準備は行き届いている。10元でビール、フルーティな地酒(果物の香りのする焼酎)、香辛料の強いシシカバブ、ナンを食べる。

 ホテルの土産物屋に日本語を少し話せる女性がいる。小さい子供がおり旦那はシーアン(西安)にいるらしい。日本に行った事はないが独学で日本語を勉強したという。明日朝早くホータン(和田)(カシュガルからバスで10時間以上。)へ行くといい、なぜかと聞くと、もう1軒店を開くという。中国ではあるが、こういうやり手の女性がおり、自由社会である事を強く感じる。
 カシュガルは漢字で「喀什」と書くが、現地ではカッシーと発音している。中国のこの地区において英語はまず通じず、飛行機に乗る場合でもこの漢字が頼りである。因みにウルムチは烏魯木斉の略字(中国語は日本の漢字を略したものが使われている)であり、空港にもこの文字が大きく書かれている。

感動のカラクリ湖

 カシュガルを出発し、ここからカラコルムハイウェイを一路高度をあげ、定期バスの旅となる。次のオアシス都市タシュクリガン(塔代庠尓于---少し違う漢字)まで約300K近くの行程である。最初に出会う湖がブロン湖でありカシュガルから約3時間。それから1時間後にカラクリ湖がある。7719mのコングル山、ムスタダアタ山7546mを間近に壮大な光景である。日高山脈の7つ沼カールにも感動したが、スケールが違いすぎる。感動のあまり声が出ない。写真を撮ろうにも大パノラマすぎて入らない。
キルギス人のじいさんがロバに乗って登場した。「どこから来たのだ、日本か、それは遠い所からきたな、俺は…という、この湖はカラクリ湖っていうんだ、このロバの名は…だ、あれは俺の息子だ、どうだロバに乗らないか」、などと言葉は分からないが、多分こんな会話であった。
途中パオが点在しており、そこに夏の間は寝泊まりしながら、放牧し、冬は町に返るのであろう。こんな素晴らしい光景の中のんびりした生活が羨ましい。放牧は、らくだ、山羊、ヤク、ロバと数は少ないが種類は多い。それにしても老人の顔はどこで見てもいい顔をしている。このキルギスの老人(実際には息子の年齢からして思ったより若いのかもしれない。)、カシュガルのエディカル寺院で、暇なせいか、どこまでも付いてきたウィグル族の老人など生活を楽しむような豊かな顔をしていた。

 そこから4200mのスバシ峠を越えて、世界の屋根パミール高原に入る。この辺では6000m級の山には名前がつかない。7000m級で初めて名前がつく。1時間程で高度3100mのタシュクリガンの町に入る。カシュガルからそうであったが、タシュクリガンの町の女性も、服装は、かなりはでで原色、蛍光色でありカラフルで、またエキゾチックな顔立ちとともによく似合う。イスラム教圏であるが、純粋なイスラム系ではないのか、顔は隠していないがあまり出歩かないらしい。もちろん写真は御法度。

 カシュガルからバスの途中、オパール村で昼食にぶつ切りの焼きウドン(なぜかソーメンといっていた。)をとったが、その時タシュクリガンから定期バスで引き返す日本人女性に出会った。北京大学に留学しており、夏休みを利用して旅行していると言う。パキスタンに抜けるといったら羨ましがっていたが、申請がなかなかめんどうらしい。

中・パ国境4943m峠越え

いよいよ4943mの中国・パキスタンの国境のクンジュラーブ峠越えである。4000m頃から高山病の症状が出る。頭がフラフラし無重力状態のような感覚であり、歩くにも、そろそろとであり急激に動くと目眩を起こす。酸素をとるため、深呼吸、水を多く取るのが良いらしい。

右に崑侖(コンロン)山脈、左にカラコルム山脈を見ながら一路クンジュラーブ峠へ。こういう乾燥地帯にもマンモートという大型のリスみたいな動物がしょっちゅう顔を出すのが見える。クンジュラーブ峠に着くと、唯一国境の目印である中国・パキスタンの石碑がある。石碑は中国側の面は中国語で、パキスタン側の面は英語、ウルドゥ語で書かれている。時々見回りに来るみたいで、中国の国境警備兵が来ており、カメラを向けるとダメだという。そのくせ女性が一人交じった5、6人であるが、石碑を入れ記念撮影をしている。もっとまじめに警備しろと言いたい。顔はここらの地域に多い、キルギス、タジク人ではなく、やはり漢族である。

 クンジュラーブ峠までは、比較的なだらかに高度をあげるが、越えて、パキスタン側から、急激に高度を下げる。3時間断崖絶壁のルートを下りスストいう所で入国の手続きを済ませる。

さすがにパキスタン人は、すらっと背が高く精悍な顔付きに一変する。スストから3時間で桃源郷フンザに入る。クンジュラーブ峠から150Kmで高度2500m位を一気に下った事になる。逆コースであると高山病に対して慣れるのにかなりきついと思っていたが、パキスタン側から3名のドイツ人の自転車に乗ったグループに出会った。自力での逆コースのクンジュラーブ峠越えとは信じられない、世界は広い。こういう旅をしている人間はドイツ人、フランス人が多い。

夢の王国フンザ(HUNZA)

 フンザの位置は、1947年からの印・パ戦争の舞台であるカシミールの北、西からアフガニスタン、タジキスタン(旅行中、国連監視団の日本人が射殺された。)、中国新彊ウィグル自治区に接している。
 カシミール紛争は、カシミール藩王(マハラジャ)がヒンドゥ−教徒で、大方の住民はイスラム教徒という事情があり、藩主が住民の意志を無視した事から端を発して、インドの横暴な大国主義が招いたものと思う。次に訪れるキルギットとともにこの辺の地域は、宗教、多数の他国と隣接している点など複雑な歴史がある。

 フンザは、1974年まで実に約900年間、内政の一切がミールという藩主にまかされてきたが、現在はミール制も廃止されている。7000m級の氷河の山々に囲まれ豊かな緑、水路など独特の王国的雰囲気を漂わせている。中心部の村々はフンザ川をはさんで開けており、杏の木、じゃがいものオンパレードである。丁度、杏の実の最盛期であり、フンザ全体がオレンジでおおわれているように見える。春はホワイトの杏の花が見事であろう。この杏が関係しているかもしれないが、長寿村としても有名であり、アプリコットスープ、ジュースと生活に密着している。

 ホテルからフンザ川を挟んで三つの7000m級の有名な山が見える。一つは日本人の山と呼ばれる、7361mのウルタル峰である。この山は著名な登山家長谷川恒夫が遭難した山であり、日本人がよく登頂を試みる。ホテルから雪崩が見えたが、女性の指(Ladies Finger)と呼ばれるピークもあり美しい山である。長谷川恒夫の奥さんが墓を建てたいと言ったが、宗教上の理由で断られた。学校を建てるという事でやっと許され、フンザに墓がある。

もう一つは7232mのディラン峰である。ここは北杜夫の小説「白きたおやかな峰」の舞台であった山で、もう20数年以上も前に読んだ小説で遭難を題材にしたものでドクトル・マンボウの北杜夫にしては本格的な山岳小説であると記憶している。三つ目はフンザ最高峰ラカポシ峰7788mという大きな山で、帰りのインダス川沿いに何度も顔を出す。
 この光景がホテルの屋上からフンザ川をはさみ、360度の大パノラマで望める。朝早く起きて薄暗い時から朝焼けまで山を眺めたがほんとうに飽きない。夜の満天の星とともに、これを見ただけで今回の旅行に来た甲斐があったと思わせる。
朝の3時くらいからコーランのお祈りの声がするのには閉口したが、農作業を始め、フンザ女性はよく働く。男性はといえば、よくたむろして何をするとでもなく、ブラブラしている。時々水路の補修をするぐらいで、全く男性にとって良い所のようだ。
フンザにマルコポーロ・シープという角が立派な羊がいる。マルコポーロがカシュガル、タシュクリガンからクンジュラーブ峠を越えフンザに持ち込み、フンザには足の治療のため暫く滞在したという。

フンザ・トレッキング

 ガイド、ドライバを雇い、ハイキング程度のトレッキングを試みた。ホテルからホッパ氷河を見るためフンザ川の支流沿いに山道を行った。ジープで1時間登った所になんと立派な集落がある。そこから歩いたが、村の子供がついて来る。なかなか人なつこい。
フンザは独特な言語を持っているが、学校では英語を習っているという。夏休みらしくぞろぞろ着いてくる。学校に行っている女の子の割合が2割位らしいがアンバランスであり、義務教育ではないらしい。やはりどの家庭でも子だくさんのようであり、12、3歳の女の子は必ずと言っていいほど小さい子の子守りをしている。写真を送ってやると言ったら住所と名前を書いたが、フセイン(
FUSEIN)という名が多かった。子供に、通りがかりの姉さんを紹介されたがほんとうに綺麗だ。写真を取らせろと子供に頼んだが、撮ったら石が飛んでくると脅かされた。
イスラム教は子供にまで徹底している。女性は、顔を隠している人は少ないが、皆彫りが深くエキゾチックな顔立ちをしている。ここフンザは、アレクサンダーの遠征軍の末裔という伝説がある。事実、時々ここの部族ではあり得ないヨーロッパ系の顔をした人を見かける。適当な所で引き返したが、途中どこかのパーティが5、6人のポーターを従えているのに出会った。本格的なトレッキングコースが幾つかあるようだ。

憧れのナンガーパルバット

 フンザにもう1日いたかったが、先を急ぐ。フンザからキルギット、ベシャムへ行く400Kの工程の間に、登山家垂涎の名山ナンガーパルパットがある。今までの全行程において天気が良く、この日こそ晴れを願ったが、またも素晴らしい天気であった。この地域はヒマラヤ山脈の北側に位置しているため、南からのモンスーンは完全に遮断されてしまう。そのため雨量は極めて少なく、完全な砂漠気候になっている。ネパール・ヒマラヤは5月くらいから雨季となり、モンスーンのためまず山は見えない。おかげでナンガーパルパット(8125m)の大展望が望めた。2000m以下に下ってきた地点で一気に比高6000m以上がそびえている事になり圧巻である。また周囲はすべて2000m以下の低地でありまさに裸で立っている感じである。エベレストでさえB.Cは5300mで山頂まで3600mである。

 K2はさすがにこの地点から、ジープ、歩きで5日間くらい行かないと見えないらしい。因みにK2は、世界第2位(8611m)の山で、Kはカラコルム、数字の2は測量番号でそのまま名前として残っている。最近K2の近くのガシャープルム(8068m)で遭難を報道していた。

暑さのガンダーラ

フンザからのフンザ川が、支流を合流しギルギット川、インダス川と名前を変えて、インド洋に注がれる。水は氷河を削って流れて奇麗であると思ったが、泥の川である。キルギット川がインダス川に変わる地点は、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシ山脈が見える地点でもある。夏のパキスタンには行くものではないと聞いてはいたが、どんどん平地に下って行くうちに暑さは相当なものである。50度近くになるといわれているが、40度はあるであろう。インダス川の沿いに仏教時代の線刻画が見られる。岩壁に動物や仏塔などが刻みこまれている。紀元前のものであるという。
イスラマバードに近いところにタキシラというガンダーラ最大の遺跡がある。我々の考える部分的な遺跡と違って都市全体が遺跡である。予定外であり、暑さでばて気味ではあったが、立ち寄る事にした。昔、ゴダイゴの歌にもあるガンダーラとは地名であるが、かなり広い地域をさし、全てを見るためには、10日以上はかかるであろう。訪れたタキシラはアレキサンダー大王が進入した頃は、隊商都市であったといわれ、数多くの仏教遺跡のほかに、都市遺跡とゾロアスター教の神殿遺跡がある。数多くの遺跡があるが、ジョーリアーン(Jaulian)寺院と博物館を暑さの中、見学した後、カラチからの遷都当時ラワルピンジといわれたイスラマバードの空港へ急いだ。

イスラマバード空港はインドと敵対関係にある事から検閲が思いのほか厳しく時間がかかった。そこからカラチへ飛び、帰途に着いた。最後はあわただしく、カラチではシェラトンホテルを予約していたが、夜12時過ぎに着き、出発は朝5時という強行軍であった。

郷に入っては郷に従え

 全体の食べ物の話であるが、中国では、食の国だけあり、さすがにおいしくいろいろな野菜を中心にした中華料理から羊肉の辛香料の効いたシシカバブ、露天で売っている乾燥したパン、乾燥地帯特有の豊富な甘味の強い果物など、どこへ行ってもおいしく食べる事が出来た。

一方パキスタンは、やはりカレーが中心でチキン、豆など数多くの種類がある。やはり飽きる。主食はチャパティとナンであるが、ナンが香ばしくておいしい。インディカ米もあるが、これはまずい。

 アルコールは、中国ではビールが安いのでよく飲んだ。味もキリンラガーに似て悪くなく銘柄も多い。5元(大瓶)でコーラ(ペプシが多い。)もスプライトも同じ値段である。意外にも小さな冷蔵庫が普及しており、どこでも冷えた飲み物があるのは有り難かった。パキスタンはさすがにアルコールは全く無い。往の成田から北京までパキスタン航空を利用したが、この中も全くアルコールのサービスはなく徹底している。唯一フンザのホテルだけあったが、缶ビールが200ルピー(1ルピー=3.4円)とすこぶる高い。但しノンアルコールビールは観光客向けか、高いがどのホテルにも必ずある。

ホテルはその地方、地方での最高級のホテルをとったが、まともなのは、北京、ウルムチ、カラチだけで、他では、停電がしょっちゅうで、断水もする。水はもちろん歯を磨くのもミネラルウォータである。ミネラルウォータはハーフボトルなど色々な大きさのものがどこでも手に入る。

さいごに

今回の旅は、1日1日が民族、文化、言葉などが変わり、景観とともに感動の連続であった。最近感動という言葉を忘れていたが、纏めて感動した気がする。こういう旅はほんとうに人生観が変わる。他に行きたいところがたくさんあるため2度と訪れる事がないかも知れないが、ネパールのポカラの町と同様に、桃源郷フンザには暫く住んでも良いと感じる。

旅行前にインドとパキスタンの核実験が行われ、非難されている。最近のニュースでもカシミール紛争で多数の人間が死亡しているが、実に両国は50年以上も争っているわけで、宗教を実感として日常に密着していない部外者にとってなかなか理解出来ない。特にパキスタンの核実験は、インドの脅威から誰も守ってくれない訳で、国家予算の1/4を軍事費につぎ込んでいる実状から止むを得ない気がし、また直ぐに核実験を出来る事に驚嘆する。 この旅を通じて、世界の異文化、民族に触れることはその人たちの考え方、歴史を学ぶ事におおいに役立った。こういう旅も良いもので、行くための3つ条件として、お金と時間はどうにかなるが、あとはいく気力である。家族、仕事に区切りをつけ、ひたすらスケジュールの立案をし、あとは実行あるのみである。

                                       以上