稲城市向陽台


クマケア治療院
はり灸マッサージ
ネパール篇

ネパール鍼灸事情

一人の日本人女性(畑美奈榮先生)が、十数年間、ネパールに滞在し数々の医療活動を行っております。鍼灸学校を設立、無医村への医療ボランティア、そして現在、もぐさ工場を建設し、併設されたクリニックで鍼灸治療を行っています。この国に
Acupunctureという言葉が通じるようになり、鍼灸治療が、根付きつつあります。一人の女性が、この国の人達を助けたいという情熱が、この国の医療を変えたのです。

ネパール篇
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ネパール・ヘルスキャンプ紀行

  7年前、ネパールを訪れたときはビジネスマンで、息抜きに自然を求め、山を見て満足した。しかし今回は立場も目的も180度違う観点から念願の海外医療ボランティアに参加するためだ。こんなに早く実現するとは思っていなかった。ヘルスキャンプは3/25からであるが、3日前にカトマンドゥ入りした。

イラク攻撃とカトマンドゥの車制限
 出発の朝、前日から始まったイラク攻撃を報じていた。以前から攻撃か査察継続かで揉めていたイラク問題も遂に攻撃が始まった。なぜ戦争なのか、ブッシュに疑問を持ち、苦々しく思っていたが、よりによって出発前日に始まるとは、こちらは半年前から日程を決めていたのに。
最も戦争のダメージを受けた日本が、ブッシュの侵略戦争を肯定しているのはなぜなのか。帰国するまでに終結して欲しいと願わずにはいられない。ただどの空港も特別に厳しいという訳ではなく警官の姿もなく平穏である。さすがに観光客が減った気がする。ネパールがイラク攻撃の影響をまともに受けるとは、その時は思ってもいなかった。
 カトマンドゥに着くと畑先生の出迎えがあった。相変わらず生き生きとして元気そうだ。イラク攻撃の影響でインドからガソリンが入って来ないそうだ。車も半数に制限され、偶数日は、車のナンバーが偶数のもの、奇数日は車のナンバーが奇数のものしか走れない。ヘルスキャンプは2台で行くため1台しか使えないことになる。畑先生が大使館に許可証を申請するなど、始まる前からヘルスキャンプも多難だ。


三浦雄一郎氏壮行会
 カトマンドゥ入りしたその夜、プロスキーヤーである三浦雄一郎氏の最高齢エベレスト登山の壮行会があり、その参加の幸運に恵まれた。彼の今までの偉業が映像で映し出されたが、最近のモンブランにおける親子3代にわたるスキーの映像もあり、あらためて彼の偉大さが判る。彼は大学の先輩でもあり、思いがけず話すことが出来、記念撮影もお願いした。70才と思えない肉体と精神力を持ち、話し方もソフトで人柄もしのばれる。10数人のシェルパも紹介され、あくまでもシェルパを立てる人柄がこのような支持と協賛を呼ぶのかと思い、5月中旬になるという登頂成功の報を日本で待ち望む。

ローカル・ボランティアの若い芽
 このヘルスキャンプは、畑先生とその教え子による鍼灸師を含めたスタッフ、日本から来る鍼灸師あるいはわたしのような学生、そして地元のローカル・ボランティアにより構成される。ヘルスキャンプの始まる前々日にローカル・ボランティアにレクチュアをする。10代後半の男女30人位が続々集まる。スタッフのEnergy, Yin, Yan, Balance Healthyなど英語を交えたレクチュアに皆、生き生きとして聞いている。全く鍼灸の知識の無い人に説明するのは困難であるが、スタッフもすらすらと説明し灸の練習に入る。このような若い人達が、ボランティアに大勢詰め掛けるところを見て、この国の未来をまだまだ信じたいと思った。

ヘルスキャンプ最初の日
 いよいよヘルスキャンプの朝が来た。5時半に出発し7時前に目的地のダーディンに着いた。役場の集会所みたいなところにシートと布団をひき、早く着いた「よもぎの会」のスタッフとローカル・ボランティアとで準備をしていた。
村の患者も続々と集まりだした。私の最初の患者は12才の女の子であった。腰痛が主訴で腹痛もあるという。最初に腎兪、大腸兪あたりに灸頭鍼をうつ。待ち構えたようにスタッフが灸を鍼に乗せ、火をつける。2回繰り返し、腹痛の治療に移る。仰向けにさせ中脘、天枢などに置鍼をし、神闕の回りにピラミッド状の灸を乗せる。ポリョ?(熱いか)と聞きながら灸を移動していき暖めて治療を終わる。2人目は46才の女性で足首が痛い、腰が痛い、肩が痛いと色々と悪いところが多い。足首は「ドゥクツァ、ドゥクツァ」と痛いところを聞き、そこに灸頭鍼をする。腰痛にも灸頭鍼をし、次の患者に移る。
3人目は男性で膝痛と腰痛である。内膝眼、外膝眼に灸頭鍼をし、また委中にもうつ。腰痛は腎兪付近にうつが、緊張しており硬直してなかなかさせない。リラックスさせてやっとうつ。その他、数人治療をし、何とか、生まれて初めての治療を終えやれやれとする。
使用する鍼は我々が学校で使うような鍼ではなく、曲がった、かなり使い古された鍼で痛いと思うが、かまわずぐいぐいとうつ。患者は老若男女様々で、11時前に終わり、途中で昼食をとってカトマンドゥに戻り、1日目を終えた。

盛況のヘルスキャンプ
翌日から口コミで広がっていくのか患者数が段々と増えてゆく。「先生、こっち、こっち」と呼ばれ次から次へと、掛け持ちで診ていく。腰痛、膝痛のほか喘息、頭痛、腹痛などの患者が多い。4時間かけて歩いて来たという老夫婦もおり、この国の現状に胸が痛む。
6時半に着く頃はもう既に長蛇の列の日が続き、1日20人くらいの患者を診た。前記の患者の他、五十肩、乳腺炎、目の病気などもいる。最も困ったのは3才くらいの子で、歩けない、口がきけない子で、とにかく裸にさせ、鍼管で腹、背中、手足と全身に小児鍼をした。また全部の指先が痛い人は指先の経穴全てに刺した。足の裏のひび割れの人には足の裏全体にピラミッド灸をした。
畑先生のことばに、全てを治してあげるのではなく、今より少しでも好くなれば良いとの話しがあり、その精神で何とか診てあげる事が出来た。イスワルさん、ビシャールさんなどはさすがに刺し方もスムーズで手際が良い。治療を満足にした事も無いこんな私でも、1日20人も診て段々治療を重ねていくうちに、ある程度治療を組み立てるようになる。どのように治療すれば良いか判ってきた気がするから不思議である。年令が年令だけに日本から来た大先生に見えるらしく、私の前に座り込んで多数待っている。集会所の屋上でやっているので、風雨が激しくなりそうになると先生早く、早くとスタッフにせかされる。

畑先生は神様
 ネパール人は、ありがとうとか、ごめんなさいとか神様以外には言わないらしい。しかし畑先生の周りの現地スタッフは、先生がお菓子とか、チャーをおごると、センセイナマステ、センセイナマステと口々に皆礼をいう。それはほんとうに自然に出て気持ちの良いくらいである。先生がネパールに来て何年もかけて教えたという。スタッフの何人かに先生の事をきくと、口では畑先生はほんとうに厳しい人だと言うけれど、ほんとうはどう思っているのか。半分神様と思っているかも知れない。

この国のライフライン
 給水は、2日に1度1時間程度でタンクに溜めてそれを使う。私の泊まったゲストハウスでもタンクが空になりトイレの水も流せない。所得水準は日本の1/30程度であろうか、しかし電気代は、水力発電だけで不足し、日本並みらしい。どこへ行っても確かに照明は薄暗い。この国はほんとうにどこへ向かうのか。やっと、マオイストとの停戦が実現し、話し合いを行なっているみたいであるが、陸の孤島でインド頼り、観光、山しかないこの国は一体どこに活路を見出すのか。工業化して自然が破壊されるのも困るが、車の排気ガス、水、電力、医療、教育などすぐに手をつける必要があることが山積している。このヘルスキャンプのあいだ、車の規制から始まって、ガソリン、灯油(灯油やガスが高く庶民の燃料らしい。)の値上げ、バス代の値上げ、それに反対するバスのストなど、庶民は困窮している。ブッシュのイラク攻撃はネパールを直撃した。いやまだ他の国で困っている国がたくさんあるかも知れない。それにしても日本は、便利過ぎ平和だ。

ヘルスキャンプ最終日
 遂にヘルスキャンプも7日目最終日である。思えばあっと言う間に迎えたとの思いがある。6時半着、直ぐに治療開始である。5日目から新患を採らず、繰り返しの人達で顔なじみの人も多い。昨日来たポリスマンもどこで名前を知ったか、クマキ先生ナマステとくる。一寸ネパール人には珍しく太り気味で、腹部に置鍼し隔物灸をする。いつも来ている男で昨日、頭痛は治ったといい、足を診てくれと言う。坐骨神経痛のようだ。腎兪から、承扶、殷門、承筋、承山、崑崙と置鍼する。終って、今日最終日だと知っているのか、丁寧に手を合わせ、心なしか敬うように、ナマステと言って帰って行った。こういう患者が、私のつたない治療でも何人かいたのはほんとうに嬉しい。私が彼らに少しでも元気を与え、私も彼らから何10倍もの元気を貰った。畑先生をはじめ、「よもぎの会」スタッフ、ローカル・ボランティア、皆やさしく接してくれ、一生懸命支えてくれた。

ポカラトレッキング
 ヘルスキャンプを終え、以前から楽しみにしていたトレッキングするためポカラへ向かう。ヘルスキャンプの期間、午後はフリーとなるためカトマンドゥをいろいろ回った。ダルバル広場、パタン、タメル地区、スワヤンブナート、ボタナートと埃と排気ガスの中よく見て回ったものだ。その点ポカラはレイクサイドにホテルをとり、空気もよく、のんびり出来た。春休みの終わりも近付いているため1泊だけのトレッキングでガイドを雇う。朝6時出発でガイドと運転手がホテルで待っていた。残念ながらあまり天気は良くない。マチャプチャレ、アンナプルナなどサランコットの丘に行っても見えない。その日はずうっと曇りで山は見えない。2000mくらいのポタナで山子屋に泊まる。山子屋はアンプルナベースキャンプに行くというイギリスの男女4人のパーティだけだった。この夜翌日の晴れを願い早く床につく。因みにスリーピングバッグはホテルのマスターから借りる。あくる朝もあまり天気はさえない。
少し登ったところで別のルートからポカラへ引き返す。ダンプスへ向かうとき、初めてマチャプチャレが見えて来た。数分の間徐々に雲がとれ、全景が顔を出した。これだけでもポカラへ来て良かった。トレッキングの目的を達した。帰り道いくつかの村を通るが、小さい子が無邪気に手を合わせナマステという。昔の日本の田舎ののどかさが伝わってくる。ポカラに来てほんとうに良かった。

あとがき
 17日間という長丁場のネパールの旅であった。そのあいだテレビ、新聞など一切見ていなく、日本経済もイラク攻撃もどうなったかなど全ては日本に帰ってから知ることになった。ネパールの食べ物であるが、ダルバートというカレーが全てである。インド、パキスタンのカレーと違って日本人の口に合っておりマイルドである。ただインディカ米は、ぱさぱさとしてどうしても口に合わなかった。他の国へ行くと郷に入っては、郷に従えで日本食はまず食べないが、今回は違った。安くて旨い日本料理店が幾つかあって助かった。今回ヘルスキャンプに参加してほんとうに良かった。
 いろいろな出会いがあった。ヘルスキャンプの前後を含めてお世話頂いた畑先生をはじめ何かと気を使ってくれたイスワルさん、いつも明るいビシャールさん、てきぱきと助けてくれたスタッフのロジー、ローカル・ボランティアのレクチュアをした学生のハーシャマさんなどスタッフの人達の顔が目に浮かぶ。そしてヘルスキャンプ以外でも、ソフトな三浦雄一郎さん、ネパールで2番目に鍼灸学校を建てたモンジュさん、ポカラの家庭的なホテルの家族、トレッキングで世話になったガイドさんや出会った台湾やイングランドのパーティ、そしてカトマンドゥで知り合いとなり、家まで招待してくれたネパール人のおじさんなどだ。来年もまた必ず来よう。1年間腕を磨き、そしてこの国の人達の役に立ちたいと心に誓うのであった。

                                     以上

2003年3月医療ボランティア参加した時の旅行記

2003年カトマンドゥにて治療

2004年ポカラにて治療

治療を待つ人々

2004年3月医療ボランティア参加した時の旅行記

最後のネパール・ヘルスキャンプ紀行

はじめに
 去年の春、ダーディンのヘルスキャンプに続いて、再びカトマンドゥの空港に降り立った。最後のヘルスキャンプである。去年は一人であったが、今回は同じ学校の連中4人と一緒だ。更に昨年は、イラク攻撃の開戦とSARSのさなかであったが、これらは今もその尾をひいている事に変わりはない。SARSは中国でまだ完全に収束していないし、特にイラクはまさに泥沼である。米国中心のこの地球に、イラク、中東となかなか平和は訪れない。

希望のよもぎ工場
 ヘルスキャンプの前に、今建設中のよもぎ工場を見学した。3階建てで、思ったより建物は大きく、畑先生の描く第3期プロジェクトも大きく前進している。今後はここを拠点に、クリニックともぐさの生産を行なうということであるが、景色もよく、屋上に露天風呂を作る事も考えているそうだ。ヒマラヤを眺めながらの風呂は最高であろう。湧水もあるようで立地に恵まれたロケーションである。また周りに枇杷の苗を植えていたが、これが大きく育つ頃は、このよもぎ工場が発展し、先生の考える女性や障害を持った人への仕事の場として、ぜひ成功して欲しいと願う。

最後のヘルスキャンプ
 いよいよ最後のヘルスキャンプである。ヘルスキャンプも70回を数えたそうであるが、去年と今回最後のヘルスキャンプに参加出来て、ほんとうに幸運である。今回の場所は楽しみにしていたポカラであり、Nature care homeという、名前の通り東洋医学的な治療を施す病院らしきところが主催して行なった。

 Nature care home とは、別の建物で治療を行なったが、初日はバンダということで、患者も少なく、これ位だと一人一人にゆっくり見ることが出来ると思っていたが、次の日からは去年のダーディンのヘルスキャンプと同様である。次から次へと来る患者は、まさに野戦病院のような状況であった。7日間ということで、毎日来る顔なじみの人が出来、坐骨神経痛など確実に良くなっている患者もおり嬉しくなる。去年経験しているので、大体の治療の要領、進め方は分かっていたが、疾患について今回は大分違った印象がある。麻痺患者、眼、耳の疾患、坐骨神経痛が多かった。
 このhomeに入院している患者は、麻痺の患者が殆どであり、毎日10人ほど寝たきりの患者を診てまわった。片麻痺、下半身の麻痺など損傷箇所によって麻痺の度合が違う。麻痺となって未だ2,3ヶ月の人は筋肉もついているが、しばらくたった人は確実に骨と皮だけになる。それでも麻痺箇所全体に灸頭鍼、あるいは電気パルスの治療を施す。足など麻痺箇所は、運動神経は麻痺しているが、知覚神経は生きており、下手に鍼を刺すとピクっと痛がる。このような患者のために、リハビリ、運動療法などの知識、実践の必要性を痛感した。
 日を追って患者も増えてくるように思われ、朝は6時から治療が始まり、午前中びっしりであり、今回は二百人程の患者を診たであろうか。治療は、患者との信頼関係に尽きると思う。治療家に人間性、豊かさが満ちていると患者は、安心して委ねることが出来るのであり、治療家に自信が無いと患者は敏感に察知する。患者に対していかに安心感を与えるか、そのためには自らの心が、豊かにならなければ患者は安心しないと強く感じた。

朝のダルバル広場
 ヘルスキャンプのポカラに移動する前と帰ってきた後、我々のカトマンドゥでの宿泊は、タメル地区のチベットゲストハウスであった。このホテルから15分程度のところにダルバル広場があるが、朝早く起き、訪れた。お祈りとその日採った野菜などをずらっと売る露天の賑わいの中に、この国の人々の暮らしそのものがある。天秤の野菜売りの老人は、自分の売っている野菜をさりげなく寄進し、お祈りをする。中世の雰囲気を残すハヌマン・ドカ(旧王宮)の像の口に、おもちをべたべたはりつける人。一見滑稽に見えるが、彼らは真剣であり、宗教を実感として日常に密着していない部外者にとってなかなか理解出来ない。この雰囲気と雑踏が好きで、朝何回となく訪れたが、いつも何か発見がある。朝のスワヤンブナートとともに心地よい散歩が楽しめた。

この国の人々
 この国の人は何かと話しかけてくる。何かと面倒を見たがる。ポカラでショッピングの帰り、道で友人を待っていると近づいてきて、安いチベット料理の店を紹介してくれ、親切に帰りの道を教えてくれたチベット人の老女。この日はバンダでタクシーもバスも無く、レイクサイドからホテルまで歩いて小1時間の道を尋ねながら帰った。このときも、皆、親切に道を教えてくれる。またパタンで色々な寺を案内してくれた自称マンダラを描く学生達などなど、皆ほんとうに親切だった。日本では、何か目的を持って近づいてくると思ってしまう。こちらは、何か売りつけられるのだろうと、そこそこに対応するが、そうでもないらしい。彼らにとって暇つぶしなのか、親切心なのか、よく理解出来なかったが、それで騙されたり、危険な目に遭った事はない。元来、この国の人は、人懐こく、親切なのかもしれない。この国には日本の忘れかけた何かがある。大家族制が残るこの国は、物質面でははるかに及ばないが、日本人よりずっと心の豊かさを持っている。

 今の日本の現状はどうだろう。年寄りなどの弱者を痛めつける犯罪、自分の子を虐待する人、いじめなど惨たんたる状況があると感じるのはわたしだけでないはずだ。九州新幹線が開通し、時間的に便利になったという人の陰で、地下水が枯渇し、魚や鳥が少なくなったと自然をむしばむ報道がなされていた。わずか1時間早く着くというだけで。この国はこのままでいい。便利になんかなる必要が無い。こう考えても確実にこの国は、自然とトレードオフしながら便利さを求めていくであろう。この国はマオイストとの抗争がまだまだ続いており、生活も安閑としていれない状況である。しかしこの抗争が長く続き、バンダなどが頻繁にあると、一見何事もないかのごとく、生活を受け入れている気がする。早くこの抗争が終結し、1日も早く平和な安定とした日をおくれることを願わずにはいられない。

さいごに
 今回が最後のヘルスキャンプとなり、延べ70回行われたそうであるが、何と言う継続の力であろうか。畑先生、イスワルさん、スタッフの方々、ボランティアに参加された多くの方々に御礼と、ねぎらいの言葉をかけたいと思う。この国にAcupunctureという言葉が通じるようになり、鍼灸治療が、根付きつつある。一人の女性が、この国の人達を助けたいという情熱が、この国の医療を変えたのだ。私もそのヘルスキャンプに2回参加することが出来、ほんとうに多くの事を学んだ。人の役に立つことの喜び、ネパール人との多くの出逢いがあったことにほんとうに素晴らしいことだと感謝している。来年、鍼灸師となり、日本に仕事の拠点を作ったなら再びこの地を訪れ、この国がどう変わっているか確かめたい。そしてこの国の人達と長く関わりたいと思う。ありがとうございました。




2009年8月医療ボランティア参加した時の旅行記

再びヘルスキャンプへ
                                  鍼灸師 熊木亜夫

はじめに
 突然畑先生から、ヘルスキャンプを再開するので参加しませんか、とのメールが届く。5月終わりの頃である。あまり突然すぎ、ヘルスキャンプはもう無いものだと思っていたので、すぐに参加する気は起きなかった。治療院を開業して、この5年間で着実に患者が増え、少しの期間だが、休診は考えられなかった。しかし時間がたつにつれ、ふつふつと5年前のヘルスキャンプの人との繋がりなど、熱い想いがこみ上げてきた。畑先生との2,3度のメールのやりとりで参加への決心をした。年は確実にとったが、まだこういう情熱は失われていないと自分でも驚く。
 今回は日本から8人と結構なメンバーが揃い、楽しみである。

ヘルスキャンプの地、ポカラへ
 明日のフライトは大丈夫か、天候が心配。皆はバスで、わたしだけ飛行機とは。早めに空港に行き、1時間半前のフライトを取るも予想が的中。遅れに遅れる。アナウンスは全く無く、テレビの画面でDELAYが伝えられる。9時半のフライトが10時、11時、11時半と刻々と遅れの表示がされる。その後からは、画面がフリーズしてしまい、全く情報が無い。やっと係員を捉まえて聞くと、ポカラは今Closeと云うばかり。待つ事5時間、やっと2時頃にポカラ行きの係員の大声が響く。その頃にカトマンズの空港は、雨が降りしきるようになる。搭乗し、プロペラが回りだしやっとフライトかと思われたが、プロペラが止まりだし、何らかのトラブルで降ろされる。降りしきる雨の中を。これでいよいよ駄目か、明日また乗るか、バスに変えるか、預けたスーツケースは大丈夫か、チケットの払い戻しはどうなるか、ああ皆と同じバスにすれば良かったなど色々な事を考える。以外にも30分後にまた呼び出しがあった。他の便の呼び出しも絶えずあり、近くにいる必要があり、待つ身はつらく、全く気の休まるところが無い。トラブルの原因は不明だが、なぜか搭乗するときに、給油をしていた。私はこれで2度目だ。中国の西の端ウルムチからカシュガルへのフライトも搭乗後、降ろされた。このときも不安でいっぱいだったが。
兎にも角にもプロペラ機は動きだし、いざポカラへ。
 ただ、待っている間に、同じポカラ行きの人達の人間模様が垣間見える。連帯感も生まれる。
 バンコクから同じ便だったアジア系のカナダ人。何となく話しかけてきて、4年間韓国ソウルで英語を教えているといい、ポカラで軽いトレッキングをするという。大きなリュックを背負っている。元は、バイオ関係の仕事をしていたそうだ。また英軍に参加しているというネパール人、2~3週間の束の間の休みで、ネパールに帰っており、またすぐに戦地に戻るという。金になるらしい。その友人のネパール人で、4年前に日本で働いていて、仕事がなくなって帰って来たという。そういう出稼ぎのネパール人が世界各国から引き揚げていると話す。世界経済不況の影響ももろに受けているのか。
 ポカラに到着し、このネパール人の携帯を借り、畑先生に連絡をとる。更にこのネパール人は、ほんとうに親切で、何かあればここに連絡するようにと電話番号を教えてくれる。いつもネパールで、こういう親切な人に遭遇する。ほんとうに親切なやさしい民族であると実感する。バス組は一足先に着いているようで皆と合流しホッとする。ヘルスキャンプ始まる前から疲れてしまう。思えば、過去ネパール行きは、全て3,4月と雨季ではなく、あまりフライトの欠航は頭に無かった。迂闊であった。

いよいよヘルスキャンプ
 前回と変わらず、朝から長蛇の列が続く。疾患も膝痛、腰痛、消化器系の疾患が多く、足のひび割れは相変わらずだ。今回は治療家になって初めてなので、初回のように緊張感を持って、気をひきしめてと、自分を戒める。
 前回、前々回のヘルスキャンプでは気付かなかったが、目眩、肩こり、頭痛、不眠症、食欲不振、倦怠感などの日本でも数多く見られる疾患も多い。日本では自律神経失調症とか更年期障害などの病名が付けられる。こういう現代病が増加していると考えられ、やはり人類は一緒で、疾患はあまり変わらないと確信する。特に年配の女性であるが、欧米並みに肥満の人が多いのが不思議である。炭水化物や油のとり過ぎか。
 5年前のヘルスキャンプのNature care homeの関係者やボランティアスタッフの女性も懐かしく顔を見せた。いつも思うが、こういう貧しい国にもボランティアスタッフが多く集まり、明るく協力してくれるのは有り難く、この国の未来もある。
 ただ人々の暮らし、町の様子など5年前と少しも変わらないように思え、今後も大きくは変わらないであろう。このような貧しい、小さな国が政争で明け暮れることに哀しみを感じるが、全てを超越したカリスマ的な人間が登場しなければ、当面このような状況が続くのではないだろうか。

待っていた愛犬チロ
 ヘルスキャンプ行きを、決めたときから気になっていた。17歳の老犬チロのことである。この半年くらいでめっきり衰え、日増しに全ての機能が失われていく感じがしていた。出発の頃は、歩行もままならず、食欲も無く更に衰えていた。ネパール行きの10日間くらい元気に違いない、と自分に言い聞かせ旅立った。
 出発3日後に家に電話したときは、元気だとのことで一安心した。ところが次の日に電話したところ、
 状態が悪化してしまい、一人では動けなくなっていたのです。床ずれが出来て、病院に連れて行ったときは、もう一日ともたないかもしれない、と云われたそうだ。それから四日間、わたしが帰ってくるまで頑張っていたのです。痛み止めのモルヒネを打ちながら、妻と娘と息子の必死の看病で。家族もわたしが帰って来るまで、なんとか、もつように祈るような気持ちだったと思います。チロも、頭を上げて、辺りを見渡し、わたしを探すようなしぐさをしていたのです。わたしの帰る前日は、餌を頑張って食べていたようです。必死にわたしが帰ってくるまで、頑張ろうとしていたのです。遂にわたしが家に10時半頃到着しました。横たわったチロは目を開けており、チロ、チロと呼びかけると、いぶかしげに、何事も無いかのような顔をしていた。ああ大丈夫だ。良かった。よく頑張った。チロありがとう。見つめるうちに、わたしを探すように何度も首をもたげ、回した。そして安心するかのように、目を閉じて眠ったかのように見えた。そして2時間くらいたった後、水を与えようとして体を持ち上げて、水を飲まそうとするが、どうも反応が無い。チロ、チロの呼びかけにも答えず、段々体が固まっていくようだ。そんな、今まで頑張ったのに、チロ、もう一度頑張って、の願いも空しく、遂に口から液体を出し、固まって、二度と息を吹き返すことは無かった。こんなに早く逝くとは思わなかった。ほんとうに、わたしを待ってくれていたのだ。顔を見て力尽きたのだ。ありがとう。ほんとうにありがとう。涙が止まらない。心配していた家族も仕事先から、ぞくぞく電話がかかってきた。涙で死を伝えられない。必死に看病し、心配していた家族にもほんとうに感謝である。
 チロはまるで眠っているように、安らかな顔で天国にいったのです。本当に、みんから愛され、素直なこころを持ち、私たち家族の心の安らぎとして、支えてくれた17年間は、本当にどれだけ癒されたか。チロありがとう。見守っているよ、もう安心して眠りなさい。

さいごに
 思えば、開業して5年間は夢中で治療をし、勉強をしてきた。このヘルスキャンプで海外の空気を吸い、若い連中と一緒に治療をし、また日本に還って頑張ろうという気になった。お世話になった畑先生、日本のよもぎの会事務局の方々、イスエワルさん、ビシャールさん、カトマンズの女性鍼灸師、ポカラの赤十字、ボランティアスタッフその他関係者の方々、そして日本から参加した7名の人達、ほんとうに有難うございました。

                                      以上

2010年8月医療ボランティア参加した時の旅行記

◆ナマステ(こんにちは&さようなら)ネパールHC2010

鍼灸師・クマケア治療院院長 熊木亜夫

 ■はじめに
今回、4回目のヘルスキャンプ参加となった。前回ポカラでのヘルスキャンプを終えた帰り道、もう今回で最後と思っていた。ところが、一緒に参加した人達に、また来年も行こうと誘われたのが頭に残っていたのだ。5月の応募にやはり真っ先に申し込んだが、去年の2009HC組の3人も応募したのには、今まで同じ人と参加するのは無かったので驚かされた。


初めての場所ビルガンジ
聞いたことも無い、一体どこにあるのだ。ネットで調べると、南ネパールのインドとの国境付近であり、地球の歩き方にも、幾つかのインドとの陸路の一つに紹介されていた。実際に入ってみると、ポカラと違い、観光地ではないためか、ごちゃごちゃとした町で、やけに野良牛が多かった印象ではあるが、何となくこの町は、これから発展するのではないかと感じた。


ナマステとは何て便利なそして素敵な言葉であろう。
今回は事前のローカルボランティアとの顔合わせもなく、カトマンズ到着の翌日から直ぐに治療となった。事前にイスワルさん達とビルガンジの赤十字社により準備が進められてきたと思うが、ベッドが4、50台並び、ローカルボランティアも看護学生で制服に身を包み、きちんと待って整然と統率された姿は、期待の高さが感じられた。いよいよ患者の受け入れである。最初はやはり緊張するが、鍼灸を全く知らない患者はもっと緊張しているだろう。鍼灸とは一体どんな治療だろう、廻りの様子から痛いのではないかと、緊張している様子がよく判る。ナマステと手を合わせるとどうであろう。一瞬にその表情は和らぎ、ナマステと手を合わせて答える。患者の表情は一気になごむ、明るくなる、尊敬の念を持つ、このときに病気の幾らかは良くなっているはずだ。
やはり腰痛、膝痛、肩こりから頭痛が多く、足のひび割れ、中年女性の肥満は相変わらずだ。糖尿病、パーキンソン、リウマチなど慢性的なものは、この期間では無理であるとはいえ、少しでも楽にと治療を続け、少しでも改善したと確信する。日増しに患者数も増え、治療開始時間も朝6時半からとなり、暑さも加わり、さすがに疲労困憊の日が続いた。
ただボランティアの看護学生の明るさと熱心さに救われた。初日は危なっかしく目を離せなかった灸頭鍼や透熱灸も、段々手慣れたもので難なくこなす姿を見て、やはり医療という同じ志をもった人に技術はついてくるのものだと感心した。


■ヘルスキャンプ参加の人達
今回は事務局含めて12人と大所帯となったが、事前打合せで初めて参加の方の実力が判り、少し心配であったが、いざ治療に入ると皆さん、度胸よく素晴らしいものがありほんとうに、感動した。初参加の人も2回目の人たちも本当にネパールの国の人に溶け込み、日増しに成長していく姿がみてとれる。さすがに仕事、勉強、費用をやりくりして、希望しただけはあると感じ、このことが将来の自分の生き方に多いに役立つと確信する。今回は、女性は男性の2倍の参加であり、現在の日本社会の女性は元気で、男性の内向きな傾向が、ここでの参加者数に表れているのではないか。


この国ネパールの未来はあるのか。
最初に訪れたのは観光で、かれこれ15年も前であろうか。それから最初のヘルスキャンプが8年前で、7年前、去年、そして今回の訪問と普通であれば、この国も目覚ましい経済発展を遂げているはずなのである。実際はどうか判らないが、あまり変わっていない印象がある。中国は別格としても近隣の後進国のタイ、ベトナムなどと比較してである。やはり水が豊かで海に面している国が圧倒的に有利であることは否めなく、水、電力の乏しいネパールでは製造業の工場誘致も困難であろう。
今回ビルガンジに来て、インドの国境での荷物一杯に積んだトラックの縦列をみると、ほんとうに陸路しか持たない国の不便さを実感した。
ヒマラヤへの登山だけでなく、カトマンズだけでもこれだけの世界遺産を持っているのだから、もっと観光資源を活用出来ないかと感じる。


さいごに
今回のヘルスキャンプを終えて、まず感じるのは、治療を全うし全員無事に帰国出来たことに、本当に感謝したい。その二日後に飛行機事故があったからなおさらである。最終日のヘルスキャンプの治療中、先発隊として会場から離れてカトマンズ行きの空港へ行こうとしたときである。ビルガンジ赤十字社の責任者から、記念の国境の写真と花輪と共に、廻りの方に感謝の言葉を戴いたとき、涙がこぼれ万感の思いで一杯となった。もっと他のスタッフと別れを惜しみたかったが時間が無かったのが残念であった。それにしても今回、ビルガンジの赤十字社、看護学校の学生ボランティアはよく協力して戴き、有難く感謝したい。
相変わらずお元気な畑先生をはじめ、イスワルさん、デニッシュさん、カトマンズの女性鍼灸師達、日本のよもぎの会事務局の方々、その他関係者の方、そして日本から参加した11名の人達、ほんとうに有難うございました。今後もこのヘルスキャンプを若者のひとつのステップとして続けていって欲しいと切に願う。
またわたしは鍼灸師として、鍼と灸、こんな簡単な道具で人を喜ばす事、癒す事が出来るのかと、遅い転進ではあったが、この道に入った事は間違ってはいなかったと痛感する。

 

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坐骨神経痛の患者